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episode 04

「パートナーとの関係ねえ。それは強烈なパンチを食らったね」

ステファンはケラケラと笑った。生ハムとチーズを酸味の強いドイツパンで挟んだだけのドイツ流の夕食を一気に頬張ったあと、のんきにミネラルウォーターを飲み干す頬を指で強く押してやりたくなる。

「強烈というか、失礼だと思わない? パートナーとの関係は良好かしらなんて皮肉なコメント、店員とお客との会話であり得ない。趣味が悪いにもほどがあるわよ」

「まあ、そうかもしれないけどさ」

「ステファン? あなたまさか、彼女の味方なわけ?」

「だって少なくともその人は、ママの接客を受けてコメントしたわけでしょう? 何か思い当たる節はないの?」

「あんな捨て台詞、当てずっぽうに決まってるでしょう」

あの場では動揺して、瀕死の魚よろしく口をパクパクと動かすだけになってしまった。しかしあとから冷静に考えれば、パートナーとの関係が良好だなどと胸を張って言える人間が、一体この世界にどれだけいるだろう。彼女は下手な占い師がやるような浅い手口で私をやり込めたのだ。

「まあ、そうかもね。どっちにしても、ビアンカに言わせればうまくいったほうなんでしょう?」

そうなのだ。掃除機を売ったわけでもなく、相手に気に入られたわけでもない接客だったが、それでも成功したほうだという。あとから聞いたところによると、ガーランもソフィアも、婦人に売り場の掃除機について徹底的にレクチャーされたあと、ガーランは実の母親との不仲を、ソフィアは前職で失敗してクビになった理由をずばり指摘され、翌日は店を休むほど打ちのめされたという。私の知らないビクトルという青年などは、婦人から不躾に離婚調停中であることを言い当てられ、婦人と胸ぐらのつかみ合いになった。結局、店長が止めに入り、ビクトルはその場で自主退職したそうだ。

「でもその婦人、どうして出禁にならないの? 商品だって買わないんでしょう?」

「何か犯罪をおかしたわけじゃないっていう理由で強い対処はしてないみたい。本当に厄介よ」

夜、ベッドに入ってからも彼女の言葉が耳にこびりついて離れなかった。

私の接客の何が、パートナーとの不仲を示唆していたのだろう? 
そんなこと、いくら考えたってわかるわけがない。それがわかるような女なら、今頃まだ家族三人で暮らしていたはずじゃないの。
拗ねた気分を持て余し、スプリングの弱すぎるベッドで寝返りを打つ。
思えば、元夫の選んだ相手が同じアジア人であるという事実も、私の胸をずたずたにしてくれた。結局彼は、私という個人ではなく、隣で従順に微笑んでくれるアジアンドールを求めていただけではないか。そしてそんな程度の男を選んだ私も、所詮そんな程度の女なのだ。
こんな自分を母親に持ったステファンに申し訳がなくて、どんどん体がマットレスに沈み込んでいく。うつ伏せになって呼吸を止めたら、楽に死ねるだろうか。
自責の念に押しつぶされそうになっていたちょうどその時、コンコンとドアをノックする音ではっと我に返った。

「どうぞ。開けていいわよ」

ドアから顔をのぞかせたステファンが、眩しそうに瞳をすがめた。黒目の私にちょうどいい明かりは、彼の瞳には強すぎるらしい。

「ママ、さっき言うの忘れちゃったんだけど、新しいスニーカーを買ってくれない?」

「どうして? このあいだ買ったばかりじゃない」

「それが、痛いんだよね。つま先は余裕があるんだけど意外とサイドの締め付けが強くてさ」

「あ、もしかして足囲が合ってなかったかな」

返事をしながら、何かぴりりとした刺激が脳裏を掠めた。

申し訳なさそうに首を竦めるステファンの顔が、徐々に件の婦人のそれと重なっていく。

今の会話だ。ステファンとの何気ない、それでいて必要なエッセンスが無駄なく込められている、ごく普通の家族のやりとり。

しばらく考え込んだのちにようやく、刺激の正体をはっきりと掴んだ。

どうして?
私はまず、息子にそう尋ねた。そして私の接客に欠けていたのは、この「どうして」という視点だったのだ。

彼女のことをあまりにも厄介なお客様として捉えすぎ、いかにも売るだけが仕事といった他人行儀な接客をしていたのかもしれない。こんな態度は、PC売り場で取ったことがなかった。

そもそもの出発点は、彼女はなぜ掃除機を替えたいのか、その一点であるべきだったのに、尋ねようという発想すらわかなかった。

私の愛のない態度に対する彼女の答えが、あの乱暴な距離の詰め方だった。いきなりこちらのプライベートに踏み込んできて、ずけずけと本質をついた皮肉を口にする。今でも反吐が出るやり口だけれど、彼女には彼女なりの正義があったのだ。

「ママ、ママ?」
あまりにも黙する時間の長い母親を案じて、ステファンがベッドサイドまでやってきた。

「早いほうがいいから、明日学校帰りに買いに行こう。久しぶりに迎えに行くわよ。その後、サッカークラブまで直接送れるし」

「OK。ありがとう!」

ステファンが勢いよく抱きついてくる。小さな子供みたいに鼻面を胸に押しつけ、こちらを見上げた。

「ママって最高!」

「ほんと、現金ね」

ステファンが機嫌よく部屋を出ていったあと、私は自らの頭をコツンと拳で小突いた。

「そうよ、私は最高の母親で、最高の店員でもあるんだから」
あくびのあと、強い眠気が押し寄せてきて、夢も見ずに朝まで眠った。

<続く>

AUTHOR

成田名璃子 (なりた なりこ)

2011年『やまびこのいる窓』で第18回電撃小説大賞(メディアワークス文庫賞)を受賞し翌年に受賞作を改題した『月だけが、私のしていることを見おろしていた。』で小説家デビュー。2016年には『ベンチウォーマーズ』で第12回酒飲み書店員大賞を受賞。青森県出身。

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