青い夜空の中に輝く星と月のフレーム。その力強い青色に惹かれ、私はニューヨーク・ マンハッタンへと向かった。 その絵の名前は『星月夜』。 そう、フィンセント・ファン・ゴッホの作品だ。
春になる手前の、まだ少し寒い季節。青い魔法を詰め込んだボトルをトランクに忍ばせ、世界のエネルギーをそこへ集めたような街に降り立った。 カナダを経由し、夜便でラガーディア空港に到着した後、ブリッジを抜けて宿泊先のマンハッタン、ソーホーへと向かう。 タクシーの硬いシートに体を預け、窓を開けてそっと深呼吸すると、早くも眠ることを知らない街の何かが、自分の体内を駆け巡ったような気がした。
瞬く間に景色はきらびやかな街の喧騒に変わっていく。通りを彩る人々はまだまだ夜を楽しんでいて、千差万別、個性様々なカラーを放っている。 この街に生きる人たちは、男女の区別なく、性別や年齢、人種を超えて”LOOKS(ルックス=見た目、外見)”、ということに対しての意識が高い。どう見られるかということは、自分たちのアイデンティティにもつながる重要なことなのだ。 メイン通りにはワンブロックをおかずファッションや化粧品店、美容サロンが建ち並び、中でもメイクアップにかけるそのエネルギーには目を見張るものがある。 人気店セフォラの店内はいつも美しさを求める女性でいっぱいで、それは絶えることを知らない。
もちろん美しさの定義については様々な見解がある。 ファッション雑誌をめくると目に飛び込んでくるモデルたちや、スクリーンの中で完成されたヘアメイクに、隙のないシルエットのドレスに身を包んだ女優。その人たちを美しいと思う一方、素顔で髪を振り乱し、懸命にひとつのゲームに打ち込んでいる、真剣な眼差しを持ったスポーツプレイヤーもまた、語り尽くせない美しさを秘めている。 例えばパリの女性は「美しさはエレガントであること」だと言い、上海の女性は「生まれたままの姿が美しいのよ」と話す。ベルリンの女性は「美しさは、瞳の中にあるわ」と言った。イタリアの男性は「美しさ? それは女性そのものだよ」と言う。 ビューティフル、と表現されるそれは、何か得体の知れないものかもしれないが、すぐそこにあるものでもある。
タクシーがホテルに到着しチェックイン。久しぶりに話す英語も少しずつ慣れてきたようだ。 部屋に入り、冷たいシーツが心地いいベッドの上で足を投げ出す。オフホワイトで凝らされた天井のコーナーを眺めながら、明日ようやく会える青に想いを馳せた。
ニューヨーク近代美術館、通称MOMAの写真でしか見たことのないその青い絵を。その青いエネルギーと、やっと会うことができるのだ。 深く青い色は、ゴッホがフランスの病院で見上げた空の色かもしれないが、 このエネルギーに満ちたマンハッタンの夜空とも被る。 日本で『星月夜』と言えば、本当は月の出ていない、星の輝く夜を表す言葉なのだが、ゴッホの絵の中には月も星も描かれていて、きらきらと瞬く黄色い光を放っている。さらに同じフレーム内の教会は、実はゴッホが絵を描いていた南フランスの教会ではなく、生まれ故郷のオランダの教会なのだという。 ゴッホ自身、フランスの空を見上げながら、故郷・オランダを想っていたのだろう。
窓辺に寄り、空を見上げた。 残念ながら、星も月も見えなかった。 しかし、私にはゴッホが想像した青と同じ、黄色い光がうごめく空を感じる。 一緒に旅している青い魔法のボトルをトランクから取り出した。 いつもそばにある私の味方。
青がひしめく夜はきっと私たちの内側に、大いなるエネルギーを与えてくれるのだろう。 まだ見たことのない、明日のために。