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“私の心を高く高く跳ばせてくれた場所白銀に輝くコートダジュールの港町アンティーブ 廣田遥

The beautiful colors I met on my journey.わたしが出会った、色の記憶。

《Clearginoスペシャルエッセイ企画》
第六弾はオリンピアン 廣田遥さんからの手紙。
大きな挫折を味わった北京オリンピック後に、再びトランポリンと向き合えた場所。
フランス・アンティーブの白銀の記憶を旅します。

ESSAY #006

南フランス・アンティーブ

フランス コートダジュールの小さな街、アンティーブで見たキラキラと白銀に輝く眩しい海。それは私の人生観を新たにし、再出発を誓った景色として記憶の中に深く刻まれています。

初めてアンティーブに降り立ったのは2009年。
競技のレベルアップのために、ライバルがいたフランスナショナルチームに単身お世話になることにしたのです。

宿舎は目の前に海が広がる素敵な場所で、どこにいても海を近くに感じられる解放的でのんびりとした環境は、沈んだ心を引っ張り上げてくれるようで、当時の私に一番必要なことだったように思います。というのも…

渡仏の前年、私にとって2度目のオリンピックであった北京大会は、日本人初となる大技をひっさげて挑む予定でした。しかし、試合直前、思いもよらぬアクシデントにより骨折。大きな挫折を味わいました。

本番までの間、毎日深夜まで治療をしてくださったトレーナーのお陰で何とか跳べる体に調整することができましたが、体も心も限界を超えていました。
「サポートしてくださった全ての方に報いるため、必ず跳ぶ…」
ただひたすらにそのことだけを思いながら、気力で演技したオリンピックでした。

やり切った達成感はあったものの、それ以降、トランポリンに対する楽しさは心のどこか遠くの方にありました。

「私は何のために跳び続けているのだろう?」

8連覇中だった全日本選手権で10連覇することを当面の目標としていたものの、そんな疑問を抱くようになっていました。
これまでは“楽しい”を追求した先に自然と夢や目標を見つけることができたけれど、今は

そんな中訪れたのがアンティーブだったのです。

フランスチームの選手は心も体もとにかくタフ!タフ!タフ!

合流したフランスチームの一日のスケジュールは、平日は練習前にサッカーでミニゲームをし、午前と午後に2~3時間の競技練習。
夕方はビーチでトレーニング。その後みんなでご飯を食べ1日が終わる。
といった感じで、毎日が合宿状態。
最初はついていくのがやっとの、充実した日々でした。

これまでは、日本でまだ誰も跳んでいない新しい技にトライしようとする時はいつも、海外選手のビデオを繰り返し見てイメージだけで試行錯誤していたため、なかなか思うように習得できないことも悩みの1つでした。
しかし、フランスチームには見本が沢山!ビデオではわからない技をかけるタイミングや身のこなしなど、リアルに感じる事ができました。
それだけではなく、チームメイトが高難度の技をあまりにも簡単にやってのけるので、日本にいる時には「難しい特別な技」と頭で考えていたものが、「当たり前にできる技」という風に意識が変わり、あれだけ苦労した技がある日スルリとできるようになっていたのは不思議な経験でした。

また、常に前向きで攻めの姿勢のチームメイトは、私がチャレンジする時、失敗した時、いつも「Allez!Allez!(いけ!いけ!)」と声をかけ、背中を押してくれました。
守る立場となった国内でも、攻める気持ちを忘れず戦う事ができたのも彼らの姿勢から学びました。

一方で、彼らは競技の時間だけでなくプライベートの時間も同じく大切にしていて、その切り替えがとても上手いのです。「24時間、競技のことを考えなさい」と教わってきた私には信じられないことで、私には、彼らが色んな顔を持つカメレオンのように映ったものです。
始めこそ自分の時間を持つことに不安に近いソワソワした気持ちを感じながらも、郷に入っては郷に従え。チームメイトに誘われてサルサダンスを始めてみることにしたのです。

世界大会を目指すSandieという女性を紹介してもらい、毎週末サルサダンスを踊りに行くようになりました。

Sandieの踊りは、心がリードし体が自然に動いているようで、いつでも彼女の“心の輝き”が伝わってきました。
ひとたびSandieが踊り始めると、ダンスフロアは一気に盛り上がりその場の空気を変えてしまう。全く踊れない人ですら、彼女に引っ張られるように軽快にステップを踏み始める。

彼女が発する輝きや楽しさが周囲に伝染していく様子に、「これだ、この感覚だ」とハッとさせられたのです。

そこから、トランポリンに対する私の感情がガラリと変わりました。
これからは自分の結果だけを追い求めるのではなく、この先日本を背負うジュニアの選手が輝けるように、その成長に影響を与えられる演技を目指すことが、選手としての私のステップであり、競技することの新しい喜びだと気づくことができたのです。

そんな沢山の刺激をくれたSandieとは夜通し公園で語りあった日もありました。
お互いの文化や、恋愛、将来の夢、どんな女性になりたいかなど、どちらも母国語ではない英語での会話でしたが、熱い気持ちで通じ合えた事が嬉しく、彼女とは今も連絡を取り合う仲です。

フランスで出会った人々は、それぞれが自分の“心の色”を大事にしていました。
無理に他人と混ざり合うことをせず、自然と混ざり合うその優しい色合いが、私にとっては心地良く、まるで子どものように新しいものを吸収できたのだと思います。

新しい文化、新しい思考、新しい出会い…全てが刺激的だった海外での暮らし。
競技に全身全霊を注いでいた私に「競技は人生の一部に過ぎない」ということを教えてくれ、アンティーブでの沢山の経験が私の凝り固まった心を溶かしてくれました。

そしてもう一つ。
ハードな練習の中で私の楽しみのひとつとなっていたのが「PAUL」というパン屋さんのアップルパイ。帰国してからも、日本にもある「PAUL」にたびたび足を運び、アップルパイを食べてはアンティーブでの生活と、白銀に輝く地中海の景色を思い出しています。

AUTHOR

廣田 遥(ひろた はるか)
元トランポリン日本代表/スポーツコメンテーター
小学6年生の春休み短期留学中のオーストラリアでトランポリンと出合い、12歳で本格的に競技として始める。2004年アテネ五輪に出場して7位入賞を果たし、2008年の北京五輪にも2大会連続出場を果たす。全日本選手権では2001年高校2年から2010年まで前人未到の10連覇を達成し、女子トランポリンの第一人者として活躍。
2011年6月に現役引退。その後は、スポーツキャスターとして情報番組などでレギュラー出演をはじめ、メディアや講演会、トランポリン教室などでトランポリン競技を中心に、スポーツの普及や強化活動を行っている。