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episode 05

翌日の朝、いてもたってもいられず、シフトより一時間も早く出勤した。ビアンカが目を丸くし、「退職届なら考え直して。あなたじゃなく、ステファンのために」と首を振った。ソフィアは心配そうに肩を抱いてきたし、ガーランは「やっぱり僕が接客すべきだったよ」と申し訳なさそうに目を伏せた。

「違うんです。そうじゃなくて、またあの婦人がいらっしゃるかもしれないので、今日から売り場の製品を自分で使ってみたいんです」

口元に緊迫を漂わせていたビアンカが、唐突に笑い声を上げた。

「なるほど、さすがPC売り場のシュッツガイストね」

「シュッツガイスト、ですか?」

日本語でいう守護者のことだ。しかし一体何の話なのだろう?

「あなた、自分のあだ名を知らなかったの? マニアの多いPC売り場では、あなたが最後の砦だったってこと。どんな質問にも答えられるし、何なら彼らの期待を超えた商品提案までできる強者なんてあなたの他にいた? まあ、たまに既製品ではなくて自作PCの制作を勧めてるって、グナは怒り心頭だったけれどね」

蕩々と語るビアンカを眺めているうちに、ある考えが頭を掠めた。

「もしかして私、あの婦人対策としてこのフロアに呼ばれたんですか?」

「まさか! 私がそんなに残酷な女に見える?」

「見えます」

声を合わせて答えたのは、ガーランとソフィアだった。


  その日から、一時間のシフト外通勤が一週間つづいた。朝の一時間の間に私がしたことと言えば、ひたすら掃除機の性能を体感すること。排気口に鼻を近づけ、ノズルを付け替えてはフロアの角を攻め、絡みついた髪の毛をカットし、バッテリーの持続性を比較したし、ずらりと眺めてはデザインを比較し、紙パック、あるいはゴミをすてまくった。
方向転換のしやすさ、吸引力の持続性、静音性、集塵力。チェック項目は多岐に渡った。マイナスイオン装備、モーターなど、掃除機の命であるヘッドの性能は特に大事だ。
一つ一つの項目を詳細にレポートした比較表は、どこかのメーカーに売り込もうかと思えるほど緻密なものになった。

そして一週間経った日のこと。彼女は再びやってきた。

相変わらず主婦然とした風体で、人が好さそうな笑みを丸い頬に浮かべている。細かなスペックなど何もわからないといったような、まがい物の笑みだ。

この間のやりとりから察するに、検索で得られるような情報はとうに彼女の頭の中に入っている。だとしたら私に与えられた勝機は、一時間のシフト外通勤で得られた掃除機の実体験のみ。迎撃の心づもりはできている。

婦人は何を思ったのか、フロアを横切ってまっすぐに私のそばまでやってきた。

「あなた、まだいたの? 懲りないわね。私に関わるより、家族とよく関わったほうがいいんじゃなくて? 手遅れになる前に」

「あいにくもう手遅れです」

売り場に居並ぶ最新型の掃除機から視線をこちらへと移すと、彼女は悪びれる風もなく言ってのけた。

「あらあら、それはご愁傷様。まあ一人も気楽でいいものよ」

「息子がいますので。ところで、今回は私からも一つ質問をよろしいでしょうか?」

二度目のゴングが、脳内で鳴り響く。片眉を上げて、婦人が先を促した。

「なぜ、掃除機を替えようと思われたのですか?」

しばしの沈黙が生まれた。またぞろ強烈な皮肉が飛んでくるだろうか。身構えつつ控えていると、婦人が頷いた。

「ようやくスタートラインに立てたようね。実は、体力もなくなってきたのか、今までのものが重く感じるの。シーズーと暮らし始めてからヘッドに毛も絡みつくし、吸引力も少し物足りなく感じて」

「なるほど」

内心で快哉を叫びながら、私は素早くスティックタイプの掃除機を手に取ってみせた。

「それでしたら、S社のスティックタイプのクリーナーはいかがでしょう。ご存知の通りプロユースの製品を供給するメーカーが一般向けに発売したモデルで、カタログであれだけ吸引力を押し出すだけのことはあります。操作性も、宣伝以上に抜群でしたよ」

「そう。実際に使ってみた口コミというわけね」

「知識ではお客様にかないませんから」

婦人がふんと小さく鼻をならす。悪いジェスチャーではなさそうである。

「軽々扱えるものでもう一つおすすめなのは、M社の紙パック式最新モデルです。重いはずなのに、高性能タイヤとモーターのサポートで楽に動かせますし、ゴミ捨てでゴミを目にしないというのは、掃除のモチベーションから言っても大きなポイントです。絡まった髪の毛やペットの毛をカットする機能も、個人的には非常に優れていると思いました」

「そう。M社はかゆいところに手が届くのよね」

「はい。何でも、本製品の開発チームは全員女性だったとか」

それから婦人は二つの掃除機をそれぞれ手に取って試し、満足げに鼻を鳴らした。

「S社のモデルをいただくわ」

一瞬、彼女の声の意味を理解するのが遅れる。

「どうしたの、こちらをいただきたいのだけれど」

「は、はい。ありがとうございます」

婦人をレジまで案内しようと振り返った途端、それぞれ別々の場所にたたずんでいたビアンカ、ガーラン、ソフィアと順に目が合い、吹き出しそうになる。彼らは、今までずっと後ろで見守っていてくれたのだ。

おのおのが何か信じられない光景を目にしたかのように固まっていたが、自分でも意外なことに、私は婦人の決心に驚かなかった。

事情を理解しようとする言葉掛けや、店員とお客という他人行儀な関係を少しだけ打ち破って相手のライフスタイルに寄り添っていくような、アットホームな姿勢さえ忘れなければ、きっと応えてもらえると確信していた。

さらに言うと、マニア心を考慮すれば、私は婦人がS社の製品を購入するであろうことまで見通していた。

会計と製品の配送手配を済ませた婦人に改めて礼を述べると、彼女は鷹揚に頷いた。

「これで、家電フロアのシュッツガイスト誕生ね」

「え、なぜそのあだ名をご存知なんですか」

私自身でさえ今さっき知ったばかりだというのに。もしかして、PCフロアで接客したことがあったのだろうか。いや、あんな失礼なコメントを残す相手、忘れるはずがない。

彼女が、目をしばたたいた私を見て小さく吹き出す。

「これからもその調子で、我が社のために働いてちょうだい。この間の無礼のお詫びに、ボーナスはほんの少し期待していただけると思うわ」

「我が社、ですか?」

この大手量販店チェーンを我が社と呼べる人間はただ一人、CEOだけだ。
呆然と佇むばかりで呼吸を忘れていたことに気がつき、ひゅうっと大きく吸い込む。相手は、いやCEOはすでに、コツコツと小気味のいい音を響かせて去っていくところだ。 

「あの!」  
CEOは振り向くと、人差し指を鼻先に当てた。

「質問はなしよ。ただし、このことだけは忘れないで。私は信頼できる相手からしか買わないの」

従順に微笑むだけのアジアンドールじゃない。わたしはCEOお墨付きの、家電売り場のシュッツガイストだ。何より、私は私自身のシュッツガイストでもある。
もう振り向かずに、CEOが去って行く。今さっきの彼女の言葉が胸を熱くする。
わたしはそっと微笑んだ。

AUTHOR

成田名璃子 (なりた なりこ)

2011年『やまびこのいる窓』で第18回電撃小説大賞(メディアワークス文庫賞)を受賞し翌年に受賞作を改題した『月だけが、私のしていることを見おろしていた。』で小説家デビュー。2016年には『ベンチウォーマーズ』で第12回酒飲み書店員大賞を受賞。青森県出身。

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